関東は梅雨の走りですね。これを走り梅雨というそうです。
五月雨という言葉がありますが、こちらは6月に使う季節の表現とのこと。
一方、五月晴れは5月を表すそうです。日本語は難しくも、いとおかしですね。
ゴールデンウイーク疲れを引きずったまま、今週末も帰省しておりました。
自宅の片付けのためです。へとへとです。
そういえば五月病という言葉もありますが、私はまだ大丈夫です。

さて今回も、私が経営の要諦を学んでいる稲盛和夫さんの講和より。
勉強した内容のコピペでブログをサボッているようですが、今回もとても良い内容ですので、どうぞお読みください。
機関誌43号(2001年10月号)より、不況をいかに乗り切るか。

私は役員会や国際経営会議などで「最低でも売上の10%の税引前利益をあげられないようでは経営のうちに入りません。利益率が20%を超えるような高収益企業でなければなりません」と申し上げてきた。会社がなぜ高収益であらねばならないかということは、不景気になってくるほど理解することができるはずです。不景気になると、企業の売上は一般的に10%、20%、30%と減少する。今までわずかな利益しかなかった企業では黒字を維持することが困難になり、赤字に転落してしまう。人間の体に例えれば、利益率の低い企業は不健康で病弱なため、不況などのちょっとした環境の変化によって風邪をひいたり、肺炎になったり、たちまち病気に陥ってしまう。一方、20%、25%という高い利益率があれば、売上が30%、40%減ったとしても、まだ赤字転落を免れることができる。高収益の企業は少しくらい寒風に吹かれても、病気一つしない頑健な体質である。つまり、高収益であることが不況に対する抵抗力が強いということ。また、高収益の企業は内部留保も増加し、余裕資金が会社に貯まっている。不景気が長引き、収益が出ない状態が続いても、景気が回復するまでのあいだ、余裕資金で耐えていくことができる。したがって本当の不況対策とは、不況になってからではなく、好況の時から不況に備える経営を行っておくこと。京セラは、お客様のニーズにお応えしようと必死に努力をし、自由競争により決まる正しい市場価格で販売し、適正な利益を得ることで会社を発展させてきた結果である。深刻な不況に遭遇している現在、赤字転落をしているトップの方々は、これまで高収益になっていなかったことを猛省していただきたい。そのうえで、この不況から一刻も早く脱却して、次の発展期には高収益体質になることを最優先課題として取り組んでほしい。

  • 全員参加による営業力の強化

売上は「数量×単価」でなりたっている。不況になると最初に「数量」が減るため、新規顧客の開拓をしなければならない。創業当初、初めて不況に見舞われたとき、新しい営業担当を採用するのではなく、製造部門が受注減で暇になっているのだから、そういう人たちから適性のある人に営業の応援部隊を結成し、営業陣の強化を図る。営業陣に対して「今まで回ったことがない客先を開拓しよう。たとえ、すぐに受注できなくても、お客様の生の声を聴くだけでも価値があるし、少しでも注文が取れれば現在を乗り切る足がかりになるはず」と激励した。日本中の新規顧客になりそうな会社をくまなく訪問した結果、マーケットが求めている新しいニーズがわかり、新製品を開発し、新しいマーケットを開拓した。

  • 新製品開発に全力を尽くす

技術者も手が空いているので、従来忙しくてできなかったアイディアを製品化するチャンスとなる。営業の応援に回った製造部門も新しい客先のニーズをもとに新製品開発をすることができる。また、不況時はお客様の側も自社製品が売れず困っているため、アイディアを求めている。つまり、不況のときこそ新製品を開発し、新規事業を起こし、次の飛躍のステップとする絶好の機会。不況に遭遇するたびに京セラは発展した。どの企業でも一本調子に成長するものではない。ちょうど竹が節をつくりながら大きく成長していくように、企業は不況というものを境にして体質を強化できる。

  • 原価を徹底的に引き下げる

不況になると「数量」減少と共に「単価」も下落する。原価をそのままにしておけば赤字になってしまう。原価も、売上の下落率と同じか、それ以上に引き下げなければならない。原価を下げるのは仕入先や外注先との関係からなかなかできるものではないが、そんな時こそ常識では不可能と思われることを可能ならしめる闘志を燃やさねばならない。知らず知らずのうちにふくれ上がっている経費を見直すために、従来の方法を根本的に見直す必要がある。「果たして現在の方法で良いのか。もっと経費を削減できる方法はないだろうか」と改めて問い直し、思い切って変革することが必要。製造工程の見直しや、組織の再編など、徹底的な合理化を幹部が先頭を切って改革していくことが重要。

  • 生産性を落とさない

1973年の第一次オイルショック後の不況では、原油価格が高騰し、猛烈なインフレが世界中で巻き起こった。翌年には世界的な不況がまん延し、京セラも工場の生産高が半年で1/3に減少した。この深刻な不況に見舞われたとき、何としても苦楽を共にしてきた社員の雇用を守りたいと考え、生産に携わる製造人員を削減し、余った人員を営業や、工場の清掃、保守点検、機械のメンテナンス、樹木芝生の手入れを含む工場の美化などに従事してもらった。そうすることで、不況と言えども、悲嘆にくれてダラダラするのではなく、明るい気持ちでそれぞれの目的に向かって一生懸命に努力するという雰囲気づくりをした。そうすることで現場の生産性や緊張感を維持した。

  • 不況時こそ問われる人間関係

上述のオイルショック時、日本全体で賃金が20%、30%上がっていく中、京セラ社員だけは一年間、賃上げを辛抱してもらったことで難局を乗り切った。これは過去に塾長がとった方法であるため、全企業に当てはまらないと思うが、仕事が減った時は最初に残業をカットし、それでも足りない時は一時的に賃金を減らしてでも従業員の雇用を守るという選択肢もある。どの方策でなければならないということではないが、重要なことは、経営者として人間味のある、従業員に温かい心が通じるようなやり方を実行していくこと。情に溺れて大局を見誤ってはならない。会社全体をすくい、より多くの社員の雇用を守るため「真の勇気」を持って正しく決断する必要がある。

  • 不況をバネに大いなる飛躍を

不況時には設備投資を控えるので常識かもしれないが、不況により設備も機械も安い価格で買えるため、不況時こそ、大きな設備投資を行うチャンスと捉え、京セラは将来を見通した設備投資を断行してきた。景気が悪い時こそ、努力の差で企業格差がつく。

弊社もコロナにより事業転換を迫られ、現在もがいている最中です。このうえに戦争が起き、会社経営どころか、人生すらどうなるか不安でたまらない気持ちでした。そうした中、今号で非常に勇気をもらえました。「誰にとっても不況は楽しいものではない。しかし、どうせ同じ経験をするなら、明るい未来に繋げていこうと、会社に希望の灯を燃やしてきた」という言葉に、私も明るくポジティブに考えていきたいと思いました。