関東は美しい青空が広がっています。
先週は、香川県への出張、週末の帰省などで少々消耗してしまいました。
ふと気づけば5月も後半に差し掛かり、あっという間に1年の半分が終わってしまいそうです。
2022年は歴史に残る1年となるでしょう。
1月から始まった変異種の猛威は序の口で、平和が脅かされるようなことが世界で起きるとは思いませんでした。
外部環境のせいにすることはできませんが、環境の変化に追われ、変化についていけていないはがゆさを感じます。
そうした中、新しい分野に果敢に挑戦する人たちの姿に勇気をもらえます。
正解のない世界となった今、どのような道を切り開くかは自分との戦いなのだと思います。

さて今回も、私が経営の要諦を学んでいる稲盛和夫さんの講和より。
今回もとても良い内容ですので、どうぞお読みください。
機関誌44号(2001年12月号)より、リーダーのあり方について。

リーダーに必要な三つの資質には、中国の呂新吾が明代に書いた「呻吟語」より、第一の資質として「真沈厚重」、第二の資質として「磊落豪遊」、第三の資質として「聡明弁済」がある。つまり、リーダーには「人格」「勇気」「能力」の三つを兼ね備えていることが望ましく、序列をつけるとするならば「人格」「勇気」「能力」の順番である。
稲盛氏は27歳という若さで創業したため、会社経営の知識がなく、判断基準を持ち合わせていなかった。そのため、子どもの頃、親や教師から教えられた「やっていいこと、やってはいけないこと」を基準に判断した。経営の判断基準を「利益を追求すること」ではなく「人間として何が正しいか」に置き、貫き通した。

また同時に、かの有名な「人生の方程式」も考え付いた。
人生の方程式とは、「人生、仕事の結果=考え方×熱意×能力」であり、人間が生まれて死ぬまでに作り上げる人生の結果、または仕事の結果は、その人が持つ「能力」に加えて、その人がどのくらいの「熱意」を持って仕事に取り組んだのか、その人がどういう「考え方」で人生を歩んできたのかという三つの要素の積。「能力」と「熱意」には0点から100点まであり、優秀な人の「能力」が80点くらいとして、能力はあまり高くない人は60点とする。能力がある人であっても、懸命に働くことを嫌い、40点しか「熱意」がないとする。一方で、能力はあまり高くないが、熱意を人一倍持ち90点とすれば、能力のある人は3200点だが、熱意のある人は5400点となる。次に、ここに「考え方」という要素が加わる。「考え方」はマイナス100点からプラス100点まである。つまり、わずかでも否定的な考え方があれば、人生の結果は全てマイナスになってしまう。

稲盛氏は、このように「考え方」が非常に重要だと考えたため、「人間として何が正しいか」を基準とした京セラフィロソフィを作り上げてきた。すると幹部からは「どんな考え方をしようと個人の自由ではないか。これは思想統制だ」と反発された。それに対し、「たしかに、どんな考え方を持つのも自由だ。しかし、勝手気ままな考え方をしたのでは、仕事はうまくいかない」と考え、京セラフィロソフィを社員に説き続けた。

この「考え方」は、「どの山に登るか」、つまり、どこを目指すかによって変わる。低い山を登るか、高い山を登るかにより装備や準備が変わるのと同じで、高い山を目指せば、それに見合う厳しいトレーニングや周到な準備が必要であり、これらに耐えうる哲学「考え方」のレベルが変わる。稲盛氏は創業時から「世界一」を目指したため、それに見合うプロセスと信念が必要だった。真面目でストイックな「考え方」は周囲から「クレージー」と評され、「狂セラ」と揶揄されたこともあった。しかし、そのような批判に対して反論せず、批判する人とは自分が目指していることが異なり、世界でナンバーワンの会社を作るためには、辛酸をなめ、苦難の道を行くという生き方、生き様がどうしても必要だと考えた。
人間はどのような考え方をしようと自由だが、集団を率いるリーダーは、どんな考え方をしても自由では決してあり得ない。集団を幸せにし、社会を豊かなものにするために、立派な考え方を持つことが義務である。